夢旅線夢街行

By ISSING-BLOG 11/1からリニューアル

もうひとつの人生

 ふと過去を振り返ってみて何かしら懐かしんでいる時、「もしあの時こうしていたら」と考えることがよくありますよね。私もよくあります。ああ、あの時こうしていれば、という後悔ですね。

 

 過去には戻れないのは分かっていますが、人はどうしても後悔をします。だから後悔は後悔のままにしておくのではなく、これから生きる学びとして捉えてみるのです。そうすれば、後悔する意味が分かってくるのではないでしょうか。つまり、後悔は未来に向けての学びなのです。

 

f:id:issingmusic1006:20170811153646j:image

(絵:いわさきちひろ

 

 そんな後悔ばかりしていると、人生には無数の分かれ道があることに気づきますね。無数の分かれ道を私達は常に何処を通るか判断して生きているのです。良い人生も悪い人生も。今の人生がどちらかはわかりません。しかし、今を生きている以上、それを考えて惜しんでいる暇はないのです。死は必ず訪れる。そう思うと、例えば今日の弁当の中身は明日のために残せるけど、それを明日食べられる保証はないです。だから惜しんでられないのです。

 

 しかし、過去において一つの歯車が違うと今とは全く違う人生を送っているかもしれないと考えると、今の自分の人生は偶然というか奇跡なんですよね。良い事も悪い事も。どちらも「奇跡」なんです。

 

 ご先祖の結婚相手が違えば自分の今の親は存在していないし、親の結婚相手が違えば今の私は存在していません。色々な偶然や奇跡が重なって今の自分は存在しているのです。これが生命の神秘ですね。

 

 その生命を次にどう繋げていくか、これが人生の最大のテーマだと思いますね。

 

 さて、今の人生が果たして正しいのか、これはどうしても今の自分からして判断できません。ですが、私はこういう風に思うようにしています。きっと人は自分にとって常に最大限の正しい判断ができる“能力”を持っているんだ、と。今の道は失敗だったけど、あっちの道はもっと失敗だったかもしれない、と。分かれ道があって、どちらとも失敗することだってある。その時、人は失敗を最大限しない方へ進めもうとするんだ、と。だから後悔を積み重ねるのです。

 

 とにかく一歩ずつでも良いから前に進まないと始まりません。失敗をして、後悔をして、少しだけでも成功に近づけたら、きっとこの人生が正しいと思えるかもしれませんね。