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古くさい恋の話

 人に恋をする。これは大事件だ。それは決して意図しないことだからだ。好きになりたくて好きになったわけではなく、もう「好き」なのだ。まさに大事件。

 

 「好き」という心は、自分とはかけ離れたところに存在する。だから本当にこの人が好きなんだな、と気づくのは後。理由も後付け。

 

 しかし「好き」という恋の心を保つのも結構大変だ。その人と会わなければ心は冷めてしまうし、会うと熱が高まり過ぎて自分を出せなくなるし、冷静になることの難しさを知る。しかし、それも自分なのだ。好きな人の前での自分なのだ。

 

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 愛は生ものだ、と言った人がいる。早くお召し上がりください、と言ったところだろうか。確かに、時間が増していくにつれて心は複雑になるし、本当にこの人が好きなのかわからなくなる。そうすると、好きでいることが苦痛になって、好きでいることを放棄してしまう。そこで、何かしら好きであるというエネルギーを作るための「燃やす材料」があれば良いのだが、中々そこは難しい。それほど人の心は移ろいゆくものなのだろう。

 

 人を好きになるって、元気になること。その分、悲しみや寂しさも感じるかもしれない。結局、プラマイゼロだったりする。

 

 恋は必ず消えていく。ふた通りの消え方があると思う。一つは心が枯れていくこと。もう一つは愛というものに形を変えていくこと。

 

 それを全て幸せと呼ぶのかもしれない。楽しいことも、悲しいことも、心が忙しいことも。それが幸せなのかもしれない。だから、そうだ、恋をしよう…。