たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

風の予感 -No Time To Die-

 こんなにも自分の誕生日である10月6日を意識したことはない。僕はぶっ通しで働いていた。昼休みも取れない中、「今日は自分の誕生日である」という意識だけが心の拠り所だった。眠れない日々の中、疲れ切った精神はネガティブな妄想を呼び、さらに僕の心を蝕んでいく。

 

 終電に乗って自宅に帰る。終電に乗って眠っている間に誕生日が過ぎてしまった。でも、よく頑張ったな、と、自分で自分を褒めた。誰も褒めてくれやしない。そもそも自宅に帰ったって誰も待ってくれるやつなんていない。

 

 と、卑屈になることでしか現実逃避をすることができなかった。

 

 休日はお昼過ぎに起床していた。それでも自宅に籠っているのはせっかくの休日なのに勿体無いなぁと思い、渋谷に出かけた。何も用事はないが、人混みに行くことによって少し憂鬱な心が紛れたような気がした。

 

 最近カップルをよく見かけるようになった、というのは気のせいだろうか。結婚はしばらく難しいかな…と心の余裕のなさから半ば諦めなような心境になっている。「だから最近の若者はダメだ」とか、親からのプレッシャーとか、周囲の結婚している友達の会話とか、とてつもなく結婚へのプレッシャーを感じる年齢になった。

 

 今、自己犠牲の如く仕事を頑張っている。それが美徳だとは思わないが、頑張ることを諦めたくない。それが今の心を保っている。恋人、友達、健康、全てを失い、全てを仕事に費やしたぐらい僕は頑張ってしまった。じゃあお金が貯まったのかというと、ストレス解消にお金を使い込んでいる。結局自分に残ったものは「頑張った自分」だけだった。人生に行き詰っている。このままだと自滅する未来しか見えない、と。

 

 それでも「頑張った自分」がいる。つまり、「まだ頑張れる自分」がいる。幸いに、僕はまだ身体が動ける。心も随分と壊れてしまったけど、まだ修復できそうだ。

 

 頑張る方向を変えようと思った。「自分を大切にすること」を第一に考え、「なりたい自分になること」を求めようと。だから、周りのことは考え過ぎず、もっと力を抜いて生きてみようと。

 

 仕事は真面目に頑張ってしまう癖がついているので、それは自分の良い所だと受け止め、もう少し図々しく楽な方向を意識してみようと思った。基本ベースは仕事に真面目に取り組んでしまうので、それくらいの意識がちょうど良いかな、と。

 

 そして、自分のやりたいこと、興味のあることを勉強して、スキルを上げて、結果的には、35歳頃に今の仕事を離れて、自分のやりたいことをやる人生にしていく。つまり、頑張る方向性を35歳までに「他人軸」から「自分軸」に軌道修正しようと思っている。

 

 

 そんなことを決心した。つまり、それくらい人生に一度切りしか訪れない2022年10月6日に対して大きな後悔をした。自分の人生に絶望した。自分には希望はないのか、と思ったが、希望は自ら持つものだ、と考えを改め、そのために生きようと思った。

 

 休日、衣替えのために久々に洋服屋に行った。あまり服を買いに行くことはないが、それまで白シャツとジーパンしかプライベートの服は持っていなかったため、色々な服を試して買ってみた。なんとなく違う自分に出会えたような気がした。そこでなんとなく、「いつか本当に好きな人と巡り合えた時、恥ずかしくない自分であろう」と思った。だからその時までもっと自分磨きをしようと前向きに思った。今後本当に好きな人と出会えるかわからないけれど、「いつかその時のために自分磨きをする」という希望を持ち続けることにした。

 

 だから、もう、卑屈にならない。

 

 今までお金で手に入れたいものはなるべく手に入れるようにしていたが、それも止める。もし突然自分が死んだとしたら、集めたものは自らの死と共に消えていく。だが、与えたものは残っていくのではないかと思う。だから残したいものは何なのか考えて、「与える人生」を送っていきたい。

 

 ある日、自宅のアパートのドアを開けようした時、外から風がふわーっと優しく吹いてきた。きっと風が僕を歓迎してくれたのだろう。なんとなく、風の予感を感じた。

 

 またゼロからのスタート。ここから這い上がってやる、やりたいことは沢山ある、と。限られた人生の中で、死んでいる暇なんてない。