たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

「大人」でも「子供」でもない

 先週、東京都足立区にある西新井大師で厄除けを行った。昨年、僕は本厄の年であったが、特に何か厄払いを行わなかった。

 

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 今年は後厄の年なのだが、ふと振り返ると、自分が思っていたよりも運が悪いことが多かったような気がする。一昨年は、上司のパワハラにより会社を辞め、僕は大学時代よりも近世的に精神的に参っている最中で年が明け、さらにそれにトドメを指すように大金を騙し取られた。所沢に住む、歌手目指している男に、だ。なんとか倉庫やレコードショップで働き食いつなぎ、拾われるようにしてなんとか正規で再就職できた。それが何より良かったことだと思う。しかし、その職場でも上司からパワハラやセクハラや、モラハラを受け、僕の心はさらに荒んだ。眠れない夜が何よりも辛かった。

 

 しかし、これでまた会社を辞めたら後がないと思い、働けることの幸せを感じようと必死だったが、なぜか僕は幸せを実感できずにいた。

 

 今は社内の異動により、職場環境はこれまでにもない以上によくなって、精神的にも余裕が出てきたが、やはり夜は眠れなかった。そんな時、ふと厄払いをしようと思った。

 

 こんなに真面目に正座してお経を聴くのは、幼稚園の時以来だろうか。もう、なくなってしまったが、僕の幼稚園は仏教系で、園内にお寺があった。今でもそうだが、正座は痛くて嫌いだったし、お経も怖くて好きじゃなかった。でも、真面目に聴かないと先生に怒られるから真面目に聴いたものだ。

 

 ため息なんてどこで覚えたのだろう。そんなことをふと思った。子供の時は何でも楽しいと思えたし、大人になるにつれて、まるで心が汚れるかのように何かを失っていったかのように思う。僕は成長したのだろうか。何もかも失望し、夢すら見なくなってしまった。「諦観」という言い訳をし、「大人」という言葉に、僕は甘えているのかもしれない。

 

 目を閉ざし、意味もわからないけど懐かしさを感じながら、僕はお経を聴いた。厄除けした後、僕はおみくじを引いた。中身は「凶」だった(笑)

 

 きっと、今が底辺でこれから運気が上昇する、そんな予感がした。しかし、気を引き締めろ、と。

 

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 帰り道、ふと思ったことがある。もう、「大人」になることも、「子供」に戻ることもやめよう、と。僕は何者でもないんだ、と。そんなことを何故か思った。