たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

トラウマ達へのラベル貼り

 何故だか知らないが、学生時代のトラウマがよく夢に出てくることがある。

 

 その一つが、高校時代の体育の授業のこと。体育教師がとても怖かったのだ。その体育教師は僕が卒業した後に、生徒にセクハラをしたとのことで解雇されたと聞いたが、それ以上にとてもおっかない体育教師だった。だから、生徒はとにかく先生の言うことに従った。服装が乱れていることはもちろん、体育着を忘れたら、心が壊されるくらい怒られる。まぁ、どの授業も忘れ物をしたら怒られるのは当然だが、僕はその体育教師には怒られたくなかったから、絶対体育着を忘れないようにしていた。忘れないように、前日に持ってくるとか、「毎週何曜日は体育」というメモを自宅の机の上に置いておくとか、懸命に努力した。

 

 それが今でも夢に出てくるのは、ある意味トラウマになっているからかもしれない。卒業してから特にどうも思っていなかったが、心の何処かで「何かを忘れたら人に怒られる」と強迫観念的なネガティブ思考に陥ってしまう。

 

 社会人になった今、その夢を見て、朝覚めることがある。目覚めたての時、一瞬「今日、体育だから体育着を持っていかなきゃ」と心の中で錯覚してしまう。それで、だんだん意識が戻ると「あ、違う。俺はもう社会人なんだ。今日は仕事だ」という感じで、朝、あんまり良くない思いで目覚めることがある。

 

 社会人になった今、忘れ物の有無は入念に確認する。その際、もしかしたら無意識的にあの時のことが思い起こされているのかもしれない。

 

 二つ目は英語の授業の夢。英語の授業が苦痛で、先生が嫌いだったのだが、その理由は、僕は英語の授業で先生の質問に当てられた時に、緊張して上手く回答が出来なかった。先生の圧力的な態度に圧倒されてしまうのだ。その時の事が、今でもよく夢に出てくる。

 

 社会人になった今でも、あの時の事を思い起こされる形で、職場で圧力的な上司からの些細な質問だけで頭の中がパニックになってしまう。質問の内容すら上手く聞けない。最近はそれでも少し落ち着けるようになったため「もう一度お聞きしてもよろしいでしょうか」と言って、一旦心を落ち着かせてから上司の質問を聞くようなったが、どうやら僕は、質問に対して「しっかり答えなければならない」という強迫観念があり、「わかりません」と素直に言うと怒られるのではないか、ということを無意識的に心のどこかで思っているに違いない。

 

 トラウマというのは、「過去にこんなことがあったから、今がこう」という、どこか言い訳みたいで、トラウマという存在を否定する考え方もあるけど、僕は様々な物事に反応して経験を重ねて成長していくのだから、トラウマは存在すると思う。

 

 僕が過去のトラウマで頭がパニックになった時、頭の中で「あ、今パニックになった!こりゃあトラウマだな」と自分を客観視する。そうすると、少しだけ落ち着く。ああ、これはトラウマのせいなのだ、と。

 

 トラウマを「トラウマ」だと認識するように、頭の中でその時の状況を「今はこういう状況だ」とラベルを貼る。そうすると、自分の反応(つまり、パニック状況)をなるべく制御できる。これはブッダの教えの本に書いてあった。

 

 

 

 そうやっているうちに、いつの間にか自分を許せるようになる。許せるようになると、緊張を緩和させることができる。

 

 心というのは、過去には決してとらわれない。何かしら心を変える方法はある。だから、人や自分の心を変えることができない、と諦めてはいけない、と思ったのは最近のことである。