たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

何を以って「東京」と呼ぶのか

 東京という地名に何故こんなにも憧れを持つのだろうか。

 

 東京に来て2年半が経った。すっかり僕は東京人、ではなかった。住んでいる所は首都圏のベッドタウンである埼玉県所沢市だし、東京人のことを未だにどういう人なのか言葉で表すことができない。知り合うほとんどの人が地方から上京してきた人だし、元々僕は静岡にいて、関東人だったこともあり、東京人との違いがわからないでいる。

 

 大阪にいた時は、大阪人と京都人、兵庫人と違いがなんとなく感じ取ることができたが、東京人と神奈川人と千葉人、埼玉人の違いがさっぱりわからない。というか、東京には、その3県の人々が通勤やら買い物やらで、ほぼ毎日東京にやって来るので、東京というのは地方人の溜まり場みたいなものかもしれない。

 

 大阪には「これが大阪だ」というものがあるが、東京にはそんなものがない。つまり、東京を作り上げたのは地方人だということだ。

 

 何を以って「東京」というのか、これは残念ながら東京人でもわからなくなっている。新宿を東京と呼ぶ人もいれば、皇居の辺りを東京と呼ぶ人もいれば、浅草を東京と呼ぶ人もいる。何処も地名としては「東京」なのだが、かえって「これが東京なのだ」という確固たる特徴がない。本当に不思議な街だと思う。

 

 今、東京のあちらこちらで街の再開発が行われており、変わりつつある。古いビルを壊し、新たなビルが建つ。風景の移り変わりが激しいのも東京の特徴なのだろう。だから、日本の中で一番近未来的なのかもしれない。

 

 東京に来て思うことは、本当に人が多いということ。そして、何でもすぐに手に入るということ。まるで東京全体がネットショッピングのように何でも揃っており、さらに観光名所が多い。それくらい東京は「消費させる街」なのだろう。だからこそ、楽しい。楽し過ぎて、つい、消費してしまう。

 

 他にも東京は「夜も眠らない街」であることが言える。例えば、どんなに栄えている地方の街中の商店街でも、22時以降は店は閉まり、人々が街からいなくなる。しかし、東京は24時以降もお店が開いており、ほぼ休むことなく起きているのだ。僕が子供の頃、21時に必ず寝るように親からしつけられた身としては、これはとても違和感を感じた。何故こんな夜遅くまで子供が街にいるだろう、と。21時以降も子供を連れた家族が街にいるのだ。どんな教育をしているのだろうか、と今でも思ったりする。

 

 僕が東京に来た理由は、特に深い理由はない。就職したら東京に来るものだと勝手に思い込んでいた。確かに就職先は沢山あるし、給料も比較的高いし、社会人になるきっかけとして東京に来ることは利点もある。だが、人が多いが故に、ちょっと生きづらさを感じてしまうことがある。それはやはり通勤の満員電車が苦痛なことだ。これは決して慣れることはない。仕事とは関係のないところでストレスを感じることはとても苦痛だ。そのため満員電車の苦痛をどのようにして紛らわせるのか考える必要がある。スマホで好きな動画を夢中で見るのか、僕みたいにブログを夢中で書くのか、座席を確保するために工夫するなど、対処法は幾らでもある。

 

 色々と書いてきたが、これらは東京の表面に過ぎない。いや、表面にも及ばないかもしれない。つまり、東京は色々な人や物が混在し合っており、何を以って「東京」と呼ぶのか結論を出すことは中々難しい。ただ、東京に来て楽しい思い出や悲しい思い出も、僕には故郷という、ある意味「心の逃げ場」があるから、まるで夢のようにして思い出を東京に置いていくことだってできる。もちろん、東京に来るにあたって故郷に置いて来た思い出も沢山あるが、故郷から離れて5年以上経った今でも故郷なまりの言葉が自分の口から出てくるということは、僕は東京人には一生なれないかもしれない。それが故郷との切っても切れぬ縁の一部であると思うが、果たして東京にそういうものがあるのだろうか。東京というのは一体何なのか、東京に来て常々思うのである。