たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

Song for Friends

 何が僕を追い詰めるのかわからないほど僕は疲れ切ったまま、年末年始休暇で僕は一旦故郷へ帰ることにした。東京と違って、故郷の空はかなり広かった。

 

 故郷に置いてきた様々な思い出が蘇るほど、僕の心は懐かしさに浸っていた。高校時代によく立ち寄った楽器店とCDショップ、そして乗り慣れた電車。悲しいことがあったら必ず立ち寄った書店。「ここは故郷である」と感じることとは、言葉にできない懐かしさや感傷に浸ることだと思う。

 

 もしかしたら僕を追い詰めているのは僕自身かもしれない、そんなことを故郷を走る、電車の窓に映る自分の姿を見て思った。

 

 今日はマイナーなミュージシャンのライブに行った。僕が自ら好きなアーティストのライブ行くことなんか滅多に無い。なぜなら、僕は歌を聴くより歌う方が好きだからだ。しかし、僕は心身ともに何故か疲れており、音楽さえもやる気が起きずにいた。ライブにでも言って、刺激を求めに行ったのだ。

 

 ちなみに、そのマイナーなミュージシャンとは、BOSSANOVA CASSANOVAのことである。過去にブログでBOSSANOVA CASSANOVAの曲について書いたことがある。

 

issing.hatenablog.jp

 

 あまりの生の演奏の迫力さに、僕は聴き入ってしまった。今まで全く練習はしていないのだが、ギターを無性に弾きたくなった。そういえば、小学時代、BOSSANOVA CASSANOVAの影響でギターを始めた経緯がある。

 

 それと僕は、やはり歌いたいという気持ちが大きくあった。この気持ちは昔から変わらない。しかし、歌うには演奏がいる。やはりギターを弾き語れるようにならなければいけないと思った。カラオケなんかつまらないし、生の楽器の演奏と共にセッションするように歌う方がより僕の目指す“伝える音楽”になると思うし、その方が音楽の世界が広がると思った。

 

 よし、練習しよう、と思い、自分のギターは埼玉の下宿先に置いてあるので、実家にいる間は父親が昔使っていたギターを使おうと思って、楽器店で弦を新調した。この年末年始の期間にギターに再挑戦し、今度東京のフォーク酒場で歌ってみようと思う。ゆくゆくは自分の歌も作って、と、それはまだ先のことか。

 

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(父親が学生時代に弾いていたギター、Morris W-20)

 

 どんなに精神的に参っていても、音楽、すなわち歌いたいという気持ちは変わらないし、それを渇望している。

 

 そして、故郷に帰り、僕はいつものように友人と会う約束をしている。僕は故郷の友人と会うときは、もう二度とその友人とは会わないだろうと思っていながら会っている。何故なら、人生には何があるかわからないからだ。もう会いたくても会えないことだってある、と僕の仲の良かった今は亡き呑み仲間に教わった。だから、会えるうちに会う。故郷には帰れるうちに帰る。

 

 と、言っても、僕には友人が少ない。それが良いか悪いかはともかく、僕のくだらな過ぎる“人生”というドラマの中に現れる、ささやかな重要人物である。もっと会いに行こうと思う。ま、中には会うのが恥ずかしくて会えない人もいる。だからね、例え疲れ果てようとなんだろうと、次会ったときに恥ずかしくないように一生懸命生きようと思う。もし僕がこの世からいなくなるようなことがあっても、一生懸命生きていれば、きっとわかってくれる…と信じて。

 

 その前に、もう一回、やっぱり、明日を生きてみよう。