時ログ

散文詩を交えた複雑な随筆文、マニアックなガジェット、好きな音楽など、青年文系SEが心の赴くままに描くエッセイブログ。

潮風を感じて

 松並木が潮風に強く揺らされながら波音と共に、海岸線に時を刻む。駿河の海に、富士の山。この風景は故郷の顔だった。時の移ろう速さに急がされながら、僕は運命に赴くままに故郷を旅立った。夢見て破れ、恋して溺れ、裏切り、また裏切られ、知らず知らずのうちに汚れゆくこの身に、時折故郷の懐かしき潮風に会いたいと思いながら、僕は知らない町で生きてきた。

 

 学生時代に持った社会の矛盾を思う猜疑心は、今も僕を不安へと追い詰める。ただ、最近一つだけ変わったことは、僕はその中で生きていかなければいけないということを理解した。そして社会人になって、眠れぬ夜に明日を生きなければならないという絶望と闘っている。しかし、何を信じ、何を求めるか。それらは自分で決めていいものだということを知って、少しずつ心が軽くなりつつある。

 

 くちびるに歌を持ち続けながら、いつまでも変わらぬ心を、独り、歌にのせて夜空につぶやいている。その孤独の寂しさによって、友との出会いに感謝を覚えた。故郷で覚えた自らの笑顔を渇望し、時を待つようにして傷つき、苦しみ、悲しみながら帰りたがる魂の叫びに抗うことなく過ごしてきた。そして、やっと再び故郷の道に足を運ぶことができた。

 

 幼い頃の通学路は、今や小道に感じるほど、自分の歩幅は大きくなった。町の風景は移ろいつつも、潮風はいつものように吹いていた。港の磯の匂いが鼻にツンとくる懐かしき故郷の匂い。広大な空。高草山に見える自然豊かなこの町を、僕は愛していた。知らず知らずのうちに。

 

 何故此処に生まれたのだろう。そこに意味はあるかもしれないし、ないかもしれない。意味なんてなくたって生きていける、と仰げば尊し我が恩師が言った言葉である。生きる意味が分からず悩んでいた学生時代の僕に、恩師は生きるための道標を示してくれた。

 

 学生時代に僕は“何もない僕”というタイトルの詩を書いた時、その詩を書いた次のページに「人生とは自分を知るための時間なのだろう。」と記した。僕は、自分は何もない存在だと思い、それによって見える風景があり、誰にも感じることのできない感情や幸せがあるのだ、と。それがきっと自分の個性なのかもしれない。

 

 僕はまだ僕を知らないから、それを知ることが人生の目的だと思っている。だからこそ、これからがとても楽しみだし、希望と絶望の間でもがき苦しみながらも、時を歩いている。もし自分の歩いてきた意味のない足跡が、突如意味を持つようになったら、過去は変わらなくても、過去の持つ意味は劇的に変わっていく。それを信じて、またこの潮風に出会うことを糧にして、帰るための旅がこれからまた始まる。