たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

感謝で心に春が来る

 また満員電車に押し込まれる日常が始まった、とネガティブな発言だが、満員電車も随分と慣れたものだ。満員電車だからこそ、人々は協力し合って電車に乗っている。降りる時に必ず道を開けるし、一人でも多くの人が乗れるように、文句一つも言わずに奥へ奥へと押し込むように進んでくれる。みんな協力し合って暮らしているんだ、と実感する。

 

 お年寄りには席を譲るし、妊婦さんにも席を譲る。当たり前のことかもしれないけど、そういうことを知っているんだ、と思うだけで、この国の人々はとても民度が高いと実感する。しかし、「お年寄りや体の不自由な方には席を譲りましょう」とよく看板や呼びかけがあるためか、ネット上なんかで席を譲らない人々を批難する声があるけど、何故そんな簡単に批難するのだろう。それは「席を譲る」ということが当たり前だと思い込み過ぎて、感謝の心を忘れているのではないか、と思う。

 

 当たり前のことでも感謝を忘れないこと。これは、今、この国に足りないことかもしれない、と帰りの協力し合う満員電車の中でふと思った。

 

 新年が始まって、まだまだ寒い日が続くけど、ようやく春に近づいてきたような、そんな時期になった。桜が待ち遠しい季節だ。

 

 年末年始、僕は故郷の友人と過ごし、社会で暮らす難しさを語り合った。それでも歯を食いしばって生きている。

 

 でもね、走り疲れたらお歩き。歩き疲れたらお休み。休み疲れたら、どうせまた走りたくなるさ、と僕は友人に言葉を贈った。

 

 悲しみの中でも季節は巡る。寒い冬のあとにでもきっと綺麗な花は咲く。それを信じなくても、必ず花は咲く、と。美しいのは花そのものではなく、そう感じる心だ。花を美しいと感じる心を持つこの国の人々は、他の国よりも素晴らしい心の持ち主なのだ。本当に桜が待ち遠しい。

 

 満員電車の中、僕は協力し合って仕事から帰る。感謝の心を忘れないでね、と自分に言い聞かせながら僕は、車窓にうつる自分の影を見つめている。幸せはきっとそばにあるんだ、と信じている僕は、その幸せを噛み締めずに心痛めている。もしかしたら僕は感謝の心を忘れているのかもしれない、と思ったのは『ありがとうの神様』という本を読んだ時であった。

 

ありがとうの神様

ありがとうの神様

 

 

 「ありがとう」という感謝の言葉を最近使ったことはあるだろうか。「すみません」という謝罪の言葉はよく使うが、果たしてその謝罪は人に許してもらえるような誠実な謝罪だろうか。自分の身を守るためだけに謝罪し、感謝を忘れていることに気づいたのは、この本を読んだ時である。

 

 「ありがとう」という感謝だけできっと心に春がやってくる。そう信じて新年早々春を呼び込もう。