たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

初秋雷

 夜、自宅のベランダから遠くの空を眺めると、稲光を発している雲が見えた。だから言って、その方面で雨が降っているわけではない。ただただ雲と雲の間を稲光が通るようにして発せられていた。

 

 僕はその日、一睡も眠れなかったにも関わらず、意地になって無理やり誰よりも早く出勤して、残業までしてやることをしっかりやり切って自宅に着いた(当たり前だが: 笑)。気持ち悪いような眠気で意識が薄れていたが、そんな疲れはどうでもよくなった。僕はこの景色を見るために今日頑張ったのかもしれない、と、それほどまでに怖いくらい不思議で神秘的だった。

 

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 眠らないことは美徳ではない。しかし、眠れることは最高の幸せだ。それにも関わらず、眠れない毎日を過ごさなければならないほどの人生を生きている人だっている。それが社会のせいとかそういうのではない。頑張って眠ろうとした結果、眠れないのだ。しかし、例え眠れることが幸せでも、眠れなくたっていい。そんなことを最近思うようになった。眠れない夜を過ごすことは幾度かあるけど、それに対してどうのこうの思わない。朝が来たからにはその日を一生懸命走ってやろう、と。そんな気持ちを持ち続けていても、結局その日はヘトヘトだが、「あともうちょっとだけ頑張ろう」を何度も繰り返す。そしたら頑張れた自分に出会うことができた。それを実感したのが、稲光を見た瞬間だった。まるで時が止まったようだった。

 

 そうか、眠れなくたって頑張れるのか、と自分の中の元気が増えていったような気がした。ある歌手がライブのトークで「人は生まれた時に右手に勇気、左手に元気を持っている。」と言っていたことを思い出した。「勇気も元気も使えば使うほど増えていく」とのことだ。だからこそ「あともうちょっと頑張ろう」と。

 

 いつでも元気でありたい。元気になるために何をしようかな、と休日は考えるし、元気を維持していくためにもどうしたらいいのかな、と考えたりと元気であり続けるのも難しい。だから、元気がない時は「もういいや!」と、まるでスケッチブックに素描画〈デッサン〉だけ済まして、色付けの前に投げ出したりする。

 

 そして、元気でなくてもいいや、と、開き直ることもある。今日は元気ないぞ、と、とことん落ち込む。そういう時は何もやる気がないから、時に身を任せる。そして朝を迎えて、いつの間にか心の曇りがなくなっている、あるいはどうでもよくなっている時がある。まるで、交通渋滞が気付かぬ内に解消されていたかのような感覚だ(イメージ的には、渋滞名所である東名高速道路の大和トンネル付近の渋滞に近い)。

 

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 いつでも元気でありたいと思うが、だからと言って、いつでも元気でなくて良い、そう思っていれば、元気でない自分も受け入れられる。

 

 初秋に見る雷を見ていて、怖いくらいのエネルギーが自然界にあるように、実は自分の中にも気付いていない元気があるかもしれない、と思った。そして、元気は使えば使うほどもっともっと増やしていけるものだと、一睡もしていない疲れ切った身体を休めながら実感した。