たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

永縁迄

 未だに「オンライン飲み会」という言葉そのものに違和感を抱きながら、帰省できないもどかしさを抑え、故郷の友人と電話をする。それを「リモート帰省」と呼ぶには程遠いが、こうして気軽に電話を掛けられる時代になったことは実に素晴らしいと思う。

 

 故郷の友人というと、幼少期から永い付き合いになる。これほどまで永い付き合いの友人がいることは大変不思議である。何故なら、僕自身、大人になって自ずと付き合う相手を選択するようになったからだ。

 

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 学生時代は「みんな仲間だ」という根拠もない付き合いがあったが、大人になると自分の世界観が確立していき、気が合う人と合わない人がはっきりする。それによって、付き合う人と付き合わない人を選ぶようになった。それを冷たいと言ってしまえばそれまでだが、無理をしてまで付き合う必要はない。はっきり言ってしまえば、それは自分の人生の中のノイズに過ぎない。ノイズはなるべく消去した方が良いに決まっている。

 

 人間関係において、選択できるものはなるべく選択した方が良い。さすがに職場など選択できない場面もあるが、それ以外は選択できるのだ。自らに選択権がある以上、この権利を使わない理由などない。

 

 しかし、もう一つ選択肢がある。付き合いたい人がいなければ、いっそのこと誰とも付き合わなければ良い。孤独に生きることは悪いことではない。

 

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 僕は孤独に生きても構わないと思っている。独り寂しくつまらない人生と感じることがあっても、それをどうにかして変えようとすることが成長の一歩である。だからこそ「寂しい」と嘆いている暇などない。世の中には自分が思っている以上に楽しいことがありふれている。しかし、様々なノイズが邪魔をしているのかもしれない。だとしたら、まずは自分の周囲にあるノイズを消去することから初めて見ればいい。それをミニマリスト的な言い方をすると「断捨離」である。

 

 そして成長すると、出会いが訪れ、付き合う仲間が変わっていく。つまり、どんなに一昔とてつもなく仲が良かった友人でも、その縁は永く続くわけではないのだ。続けさせる努力をする必要もなければ、続けなくたっていいのだ。人ぞれぞれ違う人生を歩んでいる。だからこそ、別れの時が自ずとやってくる。「一期一会」という言葉があるように、出会った人々とまた会えるとは限らない。もしかしたら、もう二度と会わないかもしれない。そういう人生だってある。それが特別なことではない。普通のことなのだ。

 

 永い付き合いの友人がいることに対して感謝をしている。また会った時にその気持ちを伝えることを常に意識している。例えもう二度と会わなくなっても、その思い出は一生色褪せることはない。