たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

個性的な教官ばかり

 大学2年生の時期、関西地方の大学に通っていたので大学2回生と言われるのだが、そんなことはどうでも良い。その時期に、今の余裕のある時に自動車免許を取っておけ、と親から言われた。ま、社会人になって就職先、または住む所によっては自動車が必要になるので、取っておいて損はない。当時住んでいた西宮から少し遠いが、神戸の教習所が安かったので、そこに通うことにした。

 

 MT車を乗ることはないだろうが、免許証に「AT限定」とか書かれるのが嫌なので、MT車のコースを選択した。最初の頃は40キロ出すだけでも怖かったのだが、次第に目が慣れてきて、怖さがなくなっていった。

 

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 それにしては、個性的な教官ばかりだった。僕は東海地方出身で関西弁のコミュニケーションがあまり慣れていないため、関西弁で軽く注意されるだけでとてつもなく恐縮する。「そうじゃないやろ!」「しっかりと運転せぇへんか!!」と怖いったらありゃしない。それでも諦めずに運転を続け、なんとか一時間を終えると、教官は「また一緒に乗ろうな!」と白い歯を「ピカっ」と光らせて言ってくれた。ついでにハゲている頭も「ピカっ」としていた。本音を言うとその教官とは二度と乗りたくないと思っていたが、4度ぐらい一緒に乗る羽目になってしまった。何度も神々しい頭を見たことか。

 

 雰囲気が妙に暗い教官もいた。その日の運転コースは、交通量の多い市街地近くのバイパスを通るのだが、土曜だったため渋滞していた。渋滞にはまった瞬間、教官が「だから嫌なんだよ!」と唐突に声を上げた。「こういう日は交通料金でも高く取ってくれよ!」とまで言い出した。僕が「そんなことしたら電車がめっちゃ混みますね」と返事をしたら、教官が「良いんだよそれで。だいたいね、車なんて運転しなくて良いんだよ!」と言う。いや、おまえ、人に運転の仕方を教える立場でありながら何を言ってるんだ、と内心思いながら運転をしたのを覚えている。その教官とも3度くらい一緒に乗ったが、不満事しか話さない教官だった。

 

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 神戸の市街地を運転することもあり、大丸百貨店の駐車場まで続いている渋滞に巻き込まれることもあったし、高速道路は阪神高速湾岸線を運転した。当時はヒヤヒヤしながら運転したことを鮮明に覚えている。

 

 なんとか教習での最終テストに合格し、いざ免許センターへ行く。当時住所票は故郷のままだったので、故郷の免許センターでなんとか免許を取った。

 

 あれから6年、今ではプロのペーパードライバーとして、あの頃のことは良き思い出だ。