たとえば

心の赴くままに描くエッセイブログ。

 「好きなことをしなさい」

 

 子どもの時、そんなことを言われてとても迷いを感じた。好きなことはゲームしかないし、それを将来にどう繋げたら良いのか僕にはさっぱりわからなかった。

 

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 中学時代に将来の夢を書けと言われて、僕は「ない」と書きたかったが、真面目に一生懸命考えに考えて、それで「騎手になりたい」なんて書いたこともあった。それは中学時代、僕はジャンプ漫画『みどりのマキバオー』が好きだったからだ。それでなんとなく「騎手」と書いたのだが、僕は背が高く、騎手になれると思っていないし、なろうとさえ思ってもいなかった。にもかかわらず、教師は「なろうと思えばなれるよ」と根拠もない精神論だけで物事を語る。

 

 高校時代に音楽が好きになったのでミュージシャンになろうと考えたことがあったが、全くもって自分の才能の無さに驚いた。歌はそこそこ歌えるが、何か特出しているわけではなかった。

 

 大学時代に音楽が好きだから音楽業界で働こう、と思ったが、集団面接に行ったら僕だけスーツで浮いた。周囲の人は髪をレインボーに染めたり、派手な人たちばかりがいた。この職は向いていない、というより、組織に馴染めないだろうな、と思った。その結果、僕は将来何を仕事にしていけばいいのかわからなくなった。

 

 それで、内定が取れた建設業界になんとなく入社したが、こっちの方が全く合わなかった。

 

 そして今、僕はシステムエンジニアとして働いている。しかしこれが天職であると思っていない。もしかしたら適職かもしれない、というほんの些細な可能性だけが救いだが。

 

 今の仕事が好きなことなのかと言われると、決して好きなことではない。嫌なことだ。嫌なことをすることが仕事である、という言い方もある。だから、決して好きなことが仕事でなくても良い。

 

 嫌なことをやって、好きなゲームや音楽をやろう、と、思い至ったのは昨年(2020年)のことだ。仕事は仕事。好きなことは好きなこと。別々の世界を行き来しながら生きていく道だってある。

 

 つまり、僕は好きなことをするために嫌な仕事をやっている、という、ごく普通の人生を生きているのだ。そこには沢山の不安がある。何故なら、今の人生の大半が嫌なこと、つまりは仕事で埋め尽くされているからだ。だから、好きなことだけで人生を埋め尽くしていきたい。

 

 もしかしたら、今の嫌な仕事が好きなことに変わることだってある。それか、新たな好きなことを見つけて、それで生活できるのであれば、それを仕事にするかもしれない。

 

 つまり、僕の夢は好きなことで人生を埋め尽くすことだ、と、抽象的な表現になってしまったが、それを探し続けたい。一生終わらない夢かもしれない。